2007年09月30日
ハンク・モブレー
そういうわけで、
1988年の春、
母と姉と僕は、小さなトランクと、身の周りのちょっとしたものと一緒に
沖縄にやってきた。
那覇空港の床が、レンガ色のタイル張りだった頃だ。
母のパンプスの踵は、
まるで古い映画のイタリア製の靴みたいに
コツコツと乾いた音をたてた。
その日から僕らは
母の母親と、母の姉、そして、
僕にとってのいとこふたりが、それほど広くはない家で、
総勢7人で暮らすことになった。
母の父親は、随分昔に死んでしまっていた。
いとこ達の父親も、僕らが沖縄へ来る1年前に死んでしまっていた。
僕の父親は
今も世界のどこかで
息をしている。
1988年の春、
母と姉と僕は、小さなトランクと、身の周りのちょっとしたものと一緒に
沖縄にやってきた。
那覇空港の床が、レンガ色のタイル張りだった頃だ。
母のパンプスの踵は、
まるで古い映画のイタリア製の靴みたいに
コツコツと乾いた音をたてた。
その日から僕らは
母の母親と、母の姉、そして、
僕にとってのいとこふたりが、それほど広くはない家で、
総勢7人で暮らすことになった。
母の父親は、随分昔に死んでしまっていた。
いとこ達の父親も、僕らが沖縄へ来る1年前に死んでしまっていた。
僕の父親は
今も世界のどこかで
息をしている。
2007年09月30日
ビレッジ・バンガード
僕の父と母の生活は、東京の下町でなんとなく続いたが、十年がたった後、
ふたりは別々の道を歩むことになった。
僕が小学校3年生の春のことだ。
クラスメイト達は、転校する僕のためにパーティーを開いてくれた。
その時、あまり親しくなかった渡辺君が、
ヴァイオリンで習ったばかりのお別れの曲を弾いた。
あの旋律は
今でも僕の胸を切なくさせる。
曲名は謎のままだ。
ふたりは別々の道を歩むことになった。
僕が小学校3年生の春のことだ。
クラスメイト達は、転校する僕のためにパーティーを開いてくれた。
その時、あまり親しくなかった渡辺君が、
ヴァイオリンで習ったばかりのお別れの曲を弾いた。
あの旋律は
今でも僕の胸を切なくさせる。
曲名は謎のままだ。
2007年09月29日
ビル・エバンス
前置きが長くなった。
僕はいつもそうだ。
・・・続けよう。
僕が沖縄に来たわけは、僕の母にあった。
沖縄の小さな島出身の母は、沖縄が日本に復帰する4年前に、小さなトランクと、パスポートと、
夢と希望でぱんぱんにふくらんだココロを持って内地へと渡った。
そして、東京で僕の父親に出会う。
東京が、日本全国の若者が憧れる『華のト-キョー』だった頃だ。
僕の父親は人とは少し変わったものの考えかたをして、僕の母も少し変わったものの観かたをする人だった。
二人は恋に落ち、母は僕の姉を身ごもった。
僕は姉の生まれた22ヶ月後に生まれた。
僕と姉は、東京の下町で、父方の祖母に溺愛されて育った。
僕はいつもそうだ。
・・・続けよう。
僕が沖縄に来たわけは、僕の母にあった。
沖縄の小さな島出身の母は、沖縄が日本に復帰する4年前に、小さなトランクと、パスポートと、
夢と希望でぱんぱんにふくらんだココロを持って内地へと渡った。
そして、東京で僕の父親に出会う。
東京が、日本全国の若者が憧れる『華のト-キョー』だった頃だ。
僕の父親は人とは少し変わったものの考えかたをして、僕の母も少し変わったものの観かたをする人だった。
二人は恋に落ち、母は僕の姉を身ごもった。
僕は姉の生まれた22ヶ月後に生まれた。
僕と姉は、東京の下町で、父方の祖母に溺愛されて育った。
2007年09月28日
27
僕は今年の3月地元の同級生が営むバーで、
ビールとケーキとクラッカーと共に、27歳の誕生日を迎えた。
27年間という年月は、ちょっとすごい。
独立した国の政治が行き詰ったり、ジョンレノンが伝説になったり、
0歳児が結婚適齢期に達するには充分な時間だ。
それなのに、この27年間、僕は自分の考えたことを
自分の「ことば」で正確に伝えられたことは、数えるほどしかない。
僕はおそらく「ことば」と相性が悪いのだ。
ビールとケーキとクラッカーと共に、27歳の誕生日を迎えた。
27年間という年月は、ちょっとすごい。
独立した国の政治が行き詰ったり、ジョンレノンが伝説になったり、
0歳児が結婚適齢期に達するには充分な時間だ。
それなのに、この27年間、僕は自分の考えたことを
自分の「ことば」で正確に伝えられたことは、数えるほどしかない。
僕はおそらく「ことば」と相性が悪いのだ。
2007年09月27日
スタート
僕は昔から、自分の思ったことを「ことば」にするのが苦手だった。
頭の中で渦巻いているさまざまなことを
正確に伝えようと
「ことば」をさがせばさがすほど、
実際に思っていることとズレていってしまう。
結果、言い出すタイミングを逃したり、見当違いなことを言って後悔したりしてきた。
そのことについて
僕は半ばあきらめていた。
2007年9月26日深夜
僕は自分自身の「ことば」をさがそうと決意した。
きっかけは久茂地にある、「寓話」というジャズを聴かせる店だ。
(それについては後で書こう。)
そんなわけで僕はこれを立ち上げた。
頭の中で渦巻いているさまざまなことを
正確に伝えようと
「ことば」をさがせばさがすほど、
実際に思っていることとズレていってしまう。
結果、言い出すタイミングを逃したり、見当違いなことを言って後悔したりしてきた。
そのことについて
僕は半ばあきらめていた。
2007年9月26日深夜
僕は自分自身の「ことば」をさがそうと決意した。
きっかけは久茂地にある、「寓話」というジャズを聴かせる店だ。
(それについては後で書こう。)
そんなわけで僕はこれを立ち上げた。


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