2007年10月30日

チャーリー・パーカー

うまく言えない思いがあった。

「ことば」を惜しんだわけではない。

「思い」を超える

「ことば」が探せず

迷い続けていただけだった。

  

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2007年10月30日

ダイアナ・クラール

様々な事情のもと、姉は1年間だけ
東京の父親のマンションに住むことになった。

姉はその年、恐らく一生分の手紙を
僕に送ってくれた。

東京の空気はよごれているということ。
昔住んでいたあの家には
全然違う人が住んでいるということ。
祖母は相変わらず涙もろいということ。
父は家にはあまりいつかないということ。
あの女の人とはもう会うことはないこと。
かわりに
料理がとても上手な
かわいらしい女の人が
ほとんど一緒に住んでいるということ。

そうしたことを
姉は文字通り
三日と空けず
手紙に書いてよこしてきた。

手紙は日記とほとんど同じものだと
どこかで読んだ。

違いは
宛名を書くか
日付を書くか

それだけだ。

  

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2007年10月28日

ソニー・ロリンズ

二層式洗濯機は今でもまだ生息しているのだろうか?

僕の家の洗濯機は
洗濯槽と脱水槽に分かれている例のやつだった。

洗濯物を洗濯槽で洗剤と一緒にぐるぐる回して後、
脱水槽に入れ替え、いったん脱水する。

もう一度洗濯槽に戻して水を注ぎながら
洗濯槽をぐるぐる回していわゆるすすぎをする。

そしてまた脱水槽に移し替え、脱水を終えてから
やっと干すことができる。

僕の家では
母も叔母も働きに出ていたので
家事全般は祖母が引き受けていた。

しかし祖母が腰痛を患うようになったころから
どうにも力仕事になってしまう洗濯を
(何しろ7人分だ)
僕が担当するようになった。

二層式の洗濯は
面倒なので
やる気になるまで
少し時間がかかったけれど
考えてみるとなかなか味のある作業だった。

現在
僕も実家も
全自動洗濯機を使っている。
ボタン1つで
あの面倒なプロセスをすべてやってくれる。

テクノロジー・イノベーションはすごい。


僕はときどき
あの二層式洗濯機を思い出す。

それぞれの工程の合間に
本を読んだり
洗濯物が回るようすを眺めたりすることは
間違いなく
僕の生活の一部だった。  

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2007年10月27日

セロニアス・モンク

僕は昔から
風に吹かれるのが好きだった。

特に海からの風は最高だ。

僕はいつも風を探していた。

僕の高校は風に出会える場所が少なかった。

そんなわけで
僕は
夏休みと週末のほとんどを
バイトに費やし
1996年の誕生日を迎えてから
すぐに
バイクの免許を取った。

家族には内緒だった。

僕は
風と仲良しになった。

それ以来
風と僕とは
いたって良好な関係が
続いている。

kawasaki BALIUS 250cc

メタリックブルーのタンクが
夜明けの海を連想させる。
愛称は渚1号で
現在の僕の親友だ。


  

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2007年10月27日

ズート・シムズ

父親が帰ってこなかった
翌朝のことを
僕はもう覚えていない。

その次の年から
部活を理由に
東京行きを断るようになったことだけは
はっきりしている。

1995年4月
僕はやはり海の近くにある
進学校に入学した。  

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2007年10月25日

ジェフ・ハミルトン

1995年の春休みは
おだやかに過ぎていった。

僕達男3人女4人は
すっかり仲良し7人組になり
毎日集まっては何かをしていた。

何をしていたのかは
あまりよく覚えていない。

誰かの家に集まっては
それぞれが
それぞれのやりたいことを
やりたいようにやっていた。

僕はたいてい本を読んでいたし
女の子達も
それぞれ好きな雑誌を読んでいた。
僕以外の男の子は
テレビゲームをやっていたような気がする。

ひとところに集まる意味など
あまりないようなことばかりだ。

それでも
あの時間を
思い出すたび

いつも
胸のところがほんのりと
あたたかくなる。

僕達は
間違いなく
ささやかに
幸せだった。  

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2007年10月25日

サム・ウッドヤード

受験を控えた僕達は
何かに付けて未来の話をした。

いつの間にか同じクラスの
男女7人のグループが
僕の居場所となっていた。

僕達はそれぞれが
別々の高校に進学することが決まっていたので
共通の夢が必要だった。

高校生になったらバンドを組んで、
そのバンドがインディーズで話題になって、
デビューする話がでるけれど、
あくまで好きでやっているだけで、金儲けの話にはしたくありませんと
僕達はそれを固辞する。
それがまた話題を呼ぶ。。。

本当に無邪気で可愛い話だ。

誰一人として楽器を扱える人物はいなかったし
夢物語だということは、きっと全員が気付いていた。

けれども
僕達は
休み時間のたび
そんな風に
無責任で他愛ない時間を共有した。

その頃の僕達は

目の前に広がる
キラキラした未来を夢見ることに精一杯で

「今」という時間に
とてもとても無関心だった。

「理想の自分」に一刻も速く追いつきたくて、

大人になっていく自分の速度を

じれったくさえ

思っていた。
  

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2007年10月23日

コリン・オクスリー

中学3年生のクラスは最高だった。

しっかり団結していたわけではなく
かといって
仲が悪いわけでもなく
ひとりひとりが
各々好き勝手なことをやっていた
そんな感じのクラスだった。

劇的な出来事はないけれど、
おだやかに流れる日常の中で
日々起こる小さな事件を
それぞれが
それぞれの方法で解決していた。

  

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2007年10月23日

ケニー・クラーク

姉にとって「特別な男の子」が現れたのは
姉が中学校一年生のときだった。

足が速くて、絵が上手くて
少し風変わりな男の子の話を

僕は
何度も何度も聞かされた。

僕は同じ話の繰り返しに
正直辟易したけれど、
何かを嬉しそうに話す姉を見るのは
幸せな気分になれた。

その「特別な男の子」は
時々家に電話をかけてきた。

携帯なんてもちろんない。

ほかの家族にとられないよう、
あらかじめ約束した時間に
姉は、家の黒電話の前に
ちょこんと座って電話を待った。

その様子を僕は複雑な気分で見ていた。

あの気分が何だったのかは
今となってはもうわからない。

1年後
僕は同じ中学に進学し
陸上部の先輩として
「姉の特別な男の子」と関わることになる。

あれから十年以上の時がたち
姉は別の「特別な男の人」と巡り会い、
現在は宜野湾に2人で住んでいる。

けれども
僕と「姉の特別な男の子」は
何故かずっと関わり続け
今でも何かと顔を合わせる。

そのたびに僕は
電話を待つ姉に対して
何を思っていたのかを
考えてみる。

答えなんか
もちろん出ない。

それでも僕は
考えずにはいられない。

いられないのだ。
  

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2007年10月21日

キース・ジャレット

僕にはテレビを見る習慣がない。
ニュースを少し見るくらいで、プログラムが終了したらすぐに
スイッチを消す。

けれど、毎週日曜日「サザエさん」だけは
ほとんど欠かさず見てしまう。

日曜の夕方6時半から7時という枠は固定されていて、
友達との約束の時間をずらしたりするほどだ。

友達は僕を変わっているという。

僕だってそう思う。

けれども
見たいものは見たいのだ。

仕方がない。

今日はワカメちゃんが主人公だった。
給料日前をテーマに作文を書いたり、
親友のすずこちゃんと喧嘩をして仲直りをしたりしていた。

マスオさんとサザエさんの夫婦仲はちょっと素敵だ。
波平さんとフネさんの夫婦仲はかなり素敵だ。

少なくとも
僕はそう思う。  

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2007年10月21日

カーティス・フラー

僕の父親は、工業製品の仲買商のような仕事をしていた。
海外で部品を安く買い付け、日本企業に卸す。

早くからアジアに目を付けていたことが功を奏し、
僕らが小学生だった当時、手堅く稼いだようだった。

父親は年に一度くらいのペースで
沖縄に来たり
僕らを東京へ呼び寄せたりした。

父親はいつも僕らを一旦東京へ呼び寄せ、
それから福岡や草津へつれて行く、という変な段取りで小旅行をした。

行く先々には、上等な別荘やホテルが用意されており、
そして、何故か必ずあの女の人が待ち構えていた。

沖縄では
六畳の板張りの部屋を
僕と姉とふたりのいとこで使っていた。
四つも机を置いていたので、足の踏み場はなかった。
眠るときも、家族7人が仏壇の部屋で雑魚寝をしていた。

僕は
そんな沖縄での生活が気に入っていた。

だから、父親のつれていってくれるところは
いつもため息が出るほど感嘆してしまうのだが、
居心地はそれほど良くはなかった。

あの女の人は僕らに優しくしてくれた。
でも、それだけだった。

マンションの部屋に父親と姉と僕の3人でいた時、
あの女の人から電話がかかってきた。

父親は出かけていき、夜中の2時を過ぎても戻らなかった。

姉は少し泣いていた。

僕はどうすることもできなかったし、
何かを言うこともできかった。

泣くことさえ

できなかった。

僕らは、中学生になっていたのにも関わらず、
その夜は同じベッドで眠った。






  

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2007年10月21日

クリス・コナー

授業終了のチャイムが鳴ると
僕はいつも夜明けの海を思い出した。

夜明け前の海を知っているだろうか?

地上と海上の温度差がなくなるため
風が止まる。
よっぽどのことがない限り
とても静かだ。

海はその力を
ひそやかに
蓄積しており

夜明けとともに
勢いよく岸へと打ち寄せる。

授業中の静けさを
たとえて言うならば

夜明け前の海のようだった。

力あるものが
息をひそめていて、
持っているパワーを
ぎりぎりのところまで我慢している。

授業中は僕にとって
そんな感じだった。


  

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2007年10月19日

イアン・カー

僕は時々授業をさぼって
海の見える
外階段で本を読んだ。

授業中の静けさは
夜の
高い密度を保つ静寂とは
まるで違った性質を持っていた。








  

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2007年10月19日

イアン・グロクソム

僕は本を読むことを何よりも好んだ。
その頃の僕は、まっすぐで、すがすがしい種類の本をとりわけ好んだ。

人が「ことば」によって語ることは、すべて架空だ。

真実かもしれないけれど、現実ではない。

現実に発言された「ことば」を再現することは可能だけれど。
現実に起こったことを、すべて「ことば」に置き換えることは不可能だ。

(例えば「今から五分前の出来事をすべて正確にことばに置き換えてみろ」
とか言われても、現実に体験した自分でもよくわからなかったり、記憶があやふやだったりする。)

どれだけノンフィクションを謳っていても、ことばに頼った時点で
結局架空になってしまう。

したがって、本を読むということは
現実を離れて、架空のものを思い描くことに他ならない。


その頃僕は、
人生における矛盾や苦悩だとかよりも
まっすぐ、すがすがしく理想的なものを思い描くことのほうが
ずっと難しいと考えていた。

理由は単純だ。

前者のほうが、よくある話だからだ。

所詮架空ならば
思い切り現実離れしているほうが

創造物として価値があると

僕は生意気にも
考えていた。

  

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2007年10月16日

アキヨシ・マリアーノ

僕は長い距離を走ることと同じくらい
いや、それ以上に
絵を描くことが好きだった。

僕は
自分の見えている世界のすべてを
紙に写そうとした。

それは本当に難しい作業だった。

それでも
根気強く自分と対話を続けていると
イメージの中の

構図が

線が

色彩が

次第に目に見えるものとなり

真っ白い画用紙が

「僕の世界」に埋め尽くされていく。

その過程を僕は好んだ。

悲劇的なのは
いつも
完成した瞬間だった。

描いている最中の胸の高鳴りは
跡形もなくかき消え
「僕の世界」は
急速に色褪せてしまうのだった。



  

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2007年10月15日

アービー・グリーン

僕は
夜走るのが好きだった。

僕の住んでいた町は
開けているとはお世辞にも言いがたいところだった。

そんな町だったので、日が暮れてしまったら人気はなかった。

夜の町は
昼間と全く違う顔を見せた。

昼間も静かな町だったが、
夜は、静寂の密度がぐんと増す気がした。

自分の呼吸と心臓の鼓動が、
昼間よりもずっと近くに聞こえた。

その頃の僕は
もしかしたら
走るということで、「僕」という存在を確認したがっていたのかもしれない。
あるいはそうじゃなかったかもしれない。

いずれにせよ僕は
太陽に内緒で
恐ろしく長い距離を走り続けた。  

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2007年10月14日

ウィリアム・クラックストン

僕は、海のすぐそばにある中学校へ進学した。

バスケット部と陸上部を掛け持ちした。

陸上部と言っても、秋の大会シーズンに運動部各部から
駆り出される変なチームだった。

バスケットは一向に上手くならなかったが、長い距離を走ることは好きだった。

短距離は人並以下だったくせに、
長距離なら校内で記録をたてる程度は走ることができた。

ゴールという目的があり、
そこへ向かうプロセスみたいなものを
自分で考え、自分で実行していくことが
心の成長期にあった僕にとっては面白かったのだろう。

その上、トレーニングをしたらその分確実に
僕の身体は鍛えられていった。

そうした確実性も気に入ってたんじゃないかな、と
今となっては思う。  

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2007年10月13日

ウエイン・ショーター

都営三田線、水道橋駅歩いて1分、
そこには小さな整骨院がある。

主だった患者さんはお年寄りばっかりで
頼まれれば往診もする。

そこの唯一のセンセイは
僕の父の兄、つまりは僕のおじさんだ。

おじさんはいつも冗談ばかり言っている。
気難しい僕の父とは正反対の性格だ。

僕はこのおじさんが大好きだった。  

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2007年10月12日

オスカー・ピーターソン

ハルが死んだ。

海の近くに埋葬した。

僕はもう子どもではないので、
自然の摂理を知っている。

親に見放された子猫は死ぬしかない。

僕は神様に勝負を挑んで
そして負けた。

半ばわかっていたことなのに
やはり涙が出てくるのだった。
  

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2007年10月11日

オーネット・コールマン

僕はあれこれ考え込んでしまうくせに、
何か突発的なことが起こると、
感覚で動いてしまう。

変なものを拾ってくるのもそのせいだ。

大人になったというのに、
僕は捨て猫、捨て犬、果ては家出少年まで
見境なく拾ってしまう。

今日も僕は
猫を拾った。
生後1ヶ月もたってないはずだ。

親猫は
子ども達を見放してしまったのか
それとも
死んでしまったのか

同僚に好きな芸能人の名前を聞いた。

井川遥

猫の名前は
ハルになった。
  

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