2008年01月31日

ポール・チェンバース

彼女は申し分のない肉体をしていた。

スレンダーで
均整の取れたスタイルも
さることながら

とりわけ
肌を合わせたときは
素晴らしかった。

端正な顔が
快楽に歪み
白い背中は
弓なりにしなった。

彼女は
すべてが終わると
ガラムを吸った。

僕はその香りに酔った。  

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2008年01月28日

ベニー・グリーン

JR新宿駅東口から西口への連絡口。

バイト帰りに必ず通るその場所で
僕は1999年の恋人を見つけた。

ジャックと名乗る
金髪で露天商で
住所不定の女の子。

何度かの立ち話のあと
僕は彼女に興味を抱いた。
彼女自身のストーリーを知りたくなった。

「喋り方でわかるよ。君は旅人だろ?」
我ながらまずいことを言った。
それでも彼女は答えてくれた。

僕の予想は
あながち間違いではなかった。

彼女は全国を転々としていて
その年の夏には神保町にある
一泊千円の安宿に寝泊りしていた。
「長期滞在は割安になるの。」
そう言って
彼女はきれいに笑った。

僕は彼女に興味を抱いた。
彼女も僕に興味があった。

デートを申し込んできたのは彼女のほうだった。
初デートは新宿御苑だった。

芝生に寝転んで膝枕をしてもらった。

彼女はいつも
いいにおいがした。
人工的な
花の匂い。
あれは恐らくグッチだった。

時々
強い
煙草を吸った。
お香のにおいのする
ガラム。緑色の方。

僕はその当時
煙草を吸う習慣がなかったので
薦められても断った。

その後ガラムを日常的に吸う人に
遭遇することはなかった。

そんなわけで
ガラムの味を
僕は知らない。  

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2008年01月24日

ブライアン・ブレイド

僕の母は
世間の常識というものから
少し外れたものの見方と考え方をする。

僕の母は
たいがいとんでもないことを言う。
(たとえば劇団を旗揚げしたいとか、レンガで家を手作りしたいとか。)

そして
時々まともなことを言う。

どちらも僕の母だ。
どちらの母も
悪くないと思う。  

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2008年01月24日

ピーター・ワシントン

こうして書いていると
あの頃の
東京を思い出す。

1999年。夏。

とりわけ僕が
強烈に覚えているのは
JR新宿東口から
西口への連絡通路だ。

ちょっと地下へ潜ってゆくあの感覚。

大胆にごったがえしている東口から
少しだけ人の暮らしの匂いがする
ごちゃごちゃした狭い通りを抜ける。

色々な種類の人がいる
あの感じ。

そしていかにも
都会的な西口へ。

慣れるまでに
何度も迷った。

それだけに
未だに
いとおしい。

僕はそこで
その夏の恋人を見つけた。

露天商をしていた
年上で金髪で偽名の女の子。

一日に一回
必ず会う。(通勤のルートだった)
ロレックスのパチモンをネタにして
何となくおしゃべりをした。

僕は何しろ19歳だった。

「恋が生まれるには
ほんの少しの希望で充分なのです」

スタンダールは僕の好みではないけれど。

  

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2008年01月23日

バート・ゴールドブラット

僕は毎日毎日
働いた。

前にも書いたが
働くことは嫌ではなかった。

僕は多分そういう種類の人間なのだと思う。

一日に必ず何件かかけもちをしていたので
毎日朝6時に出勤して夜の12時過ぎに退勤した。

それに関して父親はいい顔をしなかった。
きっと僕がどんなに歳をとっても
彼の中で僕は小学生のままなのだ。

勝手な話だとその時は思った。

それが(まがりなりにも)
彼の愛情なのだと気付いたのは
しごく最近の話だ。

我ながら鈍いと思う。
僕はこういう風に
いつも
大切なことを見落としてきた。

本当に大切なことだったのに。  

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2008年01月22日

ニコラス・ペイトン

東京では
父親の兄(つまり僕のおじさん)と
その二人の母
(前にも何度か書いた祖母)が
僕を何度も助けてくれた。

僕が「ことば」にできないことがあると
叔父も祖母もいくらでも待ってくれた。

だから僕は
本当のことが言えた。

口先の巧言ではなく
本当に思ったことを言えた。

  

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2008年01月20日

ナット・リーブス

「ことば」など捨ててしまいたいと思う夜がたまにある。
「ことば」は無力だ。
僕のことを全然わかってくれない。
僕も「ことば」のことなんて何一つわかってはいない。

そして次の日にはこう考える。

「ことば」にささえられて僕は立っている。

僕はきっとこういう落ち込み方をするのだ。

おそらくこれからも一生のうち何度かは
こういう気持ちになる夜があるのだろう。

その時には
君が隣にいてくれたらと
心から願う。

ひとりごとだ。
おやすみ。  

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2008年01月11日

ドロシー・ダンドリッチ

回転寿司の仕事を中心に
僕は様々な仕事を経験した。

ガソリンスタンド
チラシ配り
単発で入るイベントの売り子
とりわけ楽しかったのは
神宮球場でのジュース売りだ。
タダで試合が観れる上
運が良ければ
酔っ払ったおじさんから
チップがもらえる。

僕はとりわけ野球が
好きというわけでもなかった。
かと言って嫌いでもなかった。

ノムさんが縞のユニフォームを着ていた年。

沖縄水産が
一点差で敗北を喫したあの夏。

僕はひたすらに働いた。  

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2008年01月10日

デイビット・ヘイゼルタイン

ある種の理解というものは
突然訪れるものらしい。

「ヘウレーカ!」

僕は今日の昼下がり
ぼんやりと海沿いを歩いていた。

すると突然
こんな考えが頭をよぎった。

「父親に対して
僕は何かするべきだったのだろうか?」

少し間をおいて
こたえは出た。

「伝えるべきだったのだ」

母親を裏切ったこと、
僕らと一緒に暮らせなかったこと、
隠れるように女の人と会わされたこと

それらすべてが
かなしく、さびしく、
ゆがんでいることだと
僕が思ったことを
正直に伝え

そして

涙を流すべきだったのだ。

僕以外に誰がそれを言えただろう?

…今更な話だ。

僕は独り
静かに
泣いた。  

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2008年01月10日

チャーネット・モヘット

菅野美穂を見かけると
いつも思い出す人がいる。

僕がバイトしていた回転寿司屋で
恐れられていたおばちゃんだ。

彼女の名前は「菅野さん」。
自己紹介の際
「菅野美穂の菅野。覚えたでしょ。」
と素っ気無く言い放たれた。
強烈過ぎて一発で覚えた。

外見は
小柄でかわいらしいのだが
中身はちゃきちゃきの
アネゴだった。
お店のためには
誰に対しても
歯に衣着せず
意見を言った。

アルバイトの女の子たち
(3人くらいいた)
はしょっちゅう怒られては
文句を言っていた。

僕はおそらく
人一倍怒られていた。
けれども
それはそれは愛情のこもった
素晴らしい怒り方だった。
(例えば僕がネギを切る作業をするときに
「アンタこれくらいもできないのかい」と怒鳴ってから
効率よく切る方法を丁寧に教えてくれるような)

僕は「菅野さん」が好きだった。

3代続いた江戸っ子で
義理と人情で生きていた。

菅野美穂を見るたびに
(あるいは耳にするたびに)
僕は「菅野さん」に会うために
高田馬場に行くことを考える。

しかしそれは未だに
実現していない。

会えなかった場合のことを考えてしまうからだ。

それに
僕の中の「菅野さん」は
あのときの「菅野さん」なのだ。  

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2008年01月07日

ダル・ファーロウ

東京でまず初めにやったことは
アルバイトさがしだった。
数々の面接を受けた。

一番早く採用の電話がきたのは
高田馬場にある
回転寿司のチェーン店だった。
隣は同じ系列のステーキ屋で
はす向かいには
レンガ造りの古びた喫茶店があった。

そこが東京にいる間の
僕のメインの仕事場になった。
  

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2008年01月07日

ソニー・クラーク

年末年始は
古い知り合いと
顔を合わせる
またとないチャンスだ。

なつかしいひとの
近況報告や昔話が
すてきな音楽のように
耳に心地よく響くのは
僕が歳をとったということなのだろうか?

もしもそうだとするならば
歳を重ねることは
悪いことではない感じがする。
  

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2008年01月06日

セルダン・パウエル

僕は父親に何かを期待していた。

それが何だったのかは
今になってもよくわからない。

かつての僕は
「ことば」にするため
こころの中のその部分に
何度か接近を試みた。
しかし
そのたび
巧く距離がとれず
失敗した。

遠すぎると見えないし、
近付きすぎると
焦点がぼやけてしまうのだ。

恐らくそれは
「ことば」にできないし
しなくてもいいことなのかもしれない。

僕が父親のマンションを探し当てた時には
彼はすでにバンコクへ飛んでしまっていた。

姉の手紙どおり、
料理上手な可愛らしい
小柄な女の人が僕を迎えてくれた。

彼女は
本当にチャーミングだった。

元バレエダンサーだったという
彼女の身体は見事な均整がとれていた。

笑うと目じりには幸せそうな皺がよった。

彼女の笑顔には
そこにいる人を
一瞬で和ませる力があった。

アクセサリーは基本的に
シンプルなデザインのイヤリングだけで
コムサ・デ・モードのスーツと
ティファニーのトワレを好んで身につけた。

それらは彼女に
とてもよく
馴染んでいた。


  

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2008年01月05日

ステイシィー・ケント

箱根越えをするときには
「ちょっと前に別れちゃったけど
これからまあうまくやっていけたらいいですね」
的なカップルの後部座席で眠っていた。

東京の父親の住所の近くで
(鉄道で言うと京王線の下高井戸あたりだ)
僕は彼らに
ありがとうとさよならを言った。
本当は「お幸せに」と言うべきだったかもしれない。

けれども
そのときの僕にとって
その「ことば」は
ほとんどお祈りに近かった。
無責任なことを言うのは嫌だった。

番地から住まいを探した。

東京は
エネルギッシュなだけの街だと
思っていた。

それはどうやら間違いだった。
道行く人は皆親切に
色々なことを
教えてくれた。

東京では(というか沖縄以外の大都市はどこでも)
電信柱や民家の壁に
大体の番地が記されていることをはじめて知った。

各々の街には
独特のルールが存在しており
独特の秩序が保たれている。
そのことを知るのは
もう少し後の話だ。

道行く人が往々にして親切だった理由は
僕が大きな荷物を背負って
「父を探している」
と言ったからかもしれない。

あるいはそうではないかもしれない。

今となっては確かめようがない。

少なくとも僕は
基本的に
人を信じている。  

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2008年01月02日

ジミー・レイニー

僕は修善寺で
気に入った風景を
丹念にスケッチした。

空想で描く絵と
スケッチは全然別の種類のものだった。

僕の世界を紙に写すことについて
前に書いた。
(タイトルは「アキヨシ・マリアーノ」彼女の娘を僕は好む。)

スケッチは
目の前の対象を
紙に写す。
それだけだ。
イマジネーションは必要ない。

それは誰がやっても同じことだった。
だからこそ僕は没頭できた。

今でもそのスケッチブックは存在している。

どこにあるのか

僕は知らない。  

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