2008年05月27日
レジナルド・ヴィール
19歳の
僕にとっての
ヨーロッパは
泰然とした大人だった。
なにしろ
流してきた
血の量が
違う。
痛みは
人を
慎重にする。
痛みに耐えてなお
続いていく命に
注意を払うようになる。
僕は
そのとき
19歳で
痛みなんて
知らなかった。
自分の欲しいものは
すべて
手に入ると思っていた
ただの
子どもだった。
僕にとっての
ヨーロッパは
泰然とした大人だった。
なにしろ
流してきた
血の量が
違う。
痛みは
人を
慎重にする。
痛みに耐えてなお
続いていく命に
注意を払うようになる。
僕は
そのとき
19歳で
痛みなんて
知らなかった。
自分の欲しいものは
すべて
手に入ると思っていた
ただの
子どもだった。
2008年05月25日
ルイス・ヘイズ
1999年当時
アメリカは強くて若い国だった。
若さは
時として
とても
傲慢だ。
すべてを
手にしながらも
なお
それ以上を
求めて止まない。
恐れを知らない
強さは
誰をも
すばらしく
魅了する。
しかし
いつか
限界を知る。
恐ろしく
陳腐な話だ。
僕は1999年
19歳だった。
19歳の僕にとって
アメリカの傲慢を
許すことは
自分の
甘えやずるさや傲慢を
許すことと
イコールだった。
『少年の思いは飛躍しやすい』
川崎弘は偉大だ。
アメリカは強くて若い国だった。
若さは
時として
とても
傲慢だ。
すべてを
手にしながらも
なお
それ以上を
求めて止まない。
恐れを知らない
強さは
誰をも
すばらしく
魅了する。
しかし
いつか
限界を知る。
恐ろしく
陳腐な話だ。
僕は1999年
19歳だった。
19歳の僕にとって
アメリカの傲慢を
許すことは
自分の
甘えやずるさや傲慢を
許すことと
イコールだった。
『少年の思いは飛躍しやすい』
川崎弘は偉大だ。
2008年05月20日
2008年05月19日
ラリー・グレデネディア
大人になるということは
自分の軸を社会の軸に
合わせていくことだ。
こどもは
世界の王様だ。
僕は恐らく
わりと早いうちから
色々な人の
気持ちを
知ってしまっていた。
だから
僕は
(すごく恥ずかしい話だが)
色々な人の
気持ちが
わかるような気になって
図に乗っていた。
結果
僕は
人よりも
長い時間をかけて
大人になった。
自分の軸を社会の軸に
合わせていくことだ。
こどもは
世界の王様だ。
僕は恐らく
わりと早いうちから
色々な人の
気持ちを
知ってしまっていた。
だから
僕は
(すごく恥ずかしい話だが)
色々な人の
気持ちが
わかるような気になって
図に乗っていた。
結果
僕は
人よりも
長い時間をかけて
大人になった。
2008年05月18日
ヤスヒト・モリ
僕が沖縄に帰ってきたのは
9月の中ごろ。
那覇空港は
かつて
僕と母と姉が
小さな荷物を持って降り立った
小さな空港ではなくなっていた。
僕が
どこで
何をしていようと
様々なことが
僕に関係なく動いていく。
そのことは
19歳だった
僕の行動を
大胆にさせた。
それと同時に
僕の心を
ひどく
臆病にさせたのだった。
9月の中ごろ。
那覇空港は
かつて
僕と母と姉が
小さな荷物を持って降り立った
小さな空港ではなくなっていた。
僕が
どこで
何をしていようと
様々なことが
僕に関係なく動いていく。
そのことは
19歳だった
僕の行動を
大胆にさせた。
それと同時に
僕の心を
ひどく
臆病にさせたのだった。
2008年05月06日
モーズ・アリソン
連休中、
同級生の実家で
バーベキュー大会が催された。
強く吹く
風のおかげで
炭に点火するのに
ものすごく
時間がかかった。
ようやく
肉が焼けたころ
心地よい
風が
火照った
僕らの
肌を冷やした。
風が
花を添えてくれたのだと
誰かが言った。
十年以上前
将来の夢を
語り合ったときのように
僕達は
他愛の無い
とりとめの無い話をして
笑った。
この先
ずっと
こういうふうに
過ごせたらいいなと思った。
友達の母親に
来年も再来年も
こういうふうに
遊びたいと
お礼も兼ねて言ってみた。
彼女は少し泣いていた。
人と人は
こんな風に
つながっていく。
同級生の実家で
バーベキュー大会が催された。
強く吹く
風のおかげで
炭に点火するのに
ものすごく
時間がかかった。
ようやく
肉が焼けたころ
心地よい
風が
火照った
僕らの
肌を冷やした。
風が
花を添えてくれたのだと
誰かが言った。
十年以上前
将来の夢を
語り合ったときのように
僕達は
他愛の無い
とりとめの無い話をして
笑った。
この先
ずっと
こういうふうに
過ごせたらいいなと思った。
友達の母親に
来年も再来年も
こういうふうに
遊びたいと
お礼も兼ねて言ってみた。
彼女は少し泣いていた。
人と人は
こんな風に
つながっていく。
2008年05月02日
ミッシェル・サーダビー
1999年の夏の終わり
僕は色々な人から
色々な話を聞いた。
東京から鹿児島までの道のりは
とても長かった。
僕はインターチェンジの傍で
長距離トラックを待つことを
あえてしなかった。
僕を乗せてくれた車は
たいてい乗用車だった。
車は動く密室だ。
しかも
持ち主の。
僕を乗せてくれた人たちの数だけ
たくさんのストーリーがあった。
僕はひたすらに
話を聞いた。
時々
その人の話に対して
何かを言いたい気分にもなったが
ゆきずりの僕が
言葉を遣って
何かを伝えることなど
できるはずはないと思った。
僕はひたすらに
話を聞いた。
あのときの
僕の気持ちは
『ことば』に
ならずに
そのまま
消えた。
僕は色々な人から
色々な話を聞いた。
東京から鹿児島までの道のりは
とても長かった。
僕はインターチェンジの傍で
長距離トラックを待つことを
あえてしなかった。
僕を乗せてくれた車は
たいてい乗用車だった。
車は動く密室だ。
しかも
持ち主の。
僕を乗せてくれた人たちの数だけ
たくさんのストーリーがあった。
僕はひたすらに
話を聞いた。
時々
その人の話に対して
何かを言いたい気分にもなったが
ゆきずりの僕が
言葉を遣って
何かを伝えることなど
できるはずはないと思った。
僕はひたすらに
話を聞いた。
あのときの
僕の気持ちは
『ことば』に
ならずに
そのまま
消えた。


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