2008年06月29日
ジェイ・アリゾナ
フランクフルトから
ニュルンブルクへ。
ニュルンブルクの
ユースは快適だった。
中世のお城を改築したホテルだ。
街を見下ろす高台に
石造りの壁と
広い廊下と
沢山の装飾品。
それと
隣接して
エレベータ。
お菓子とジュースの
販売機。
それに対して
僕は特に何も
思わなかったけれど
同室になった
ドイツ人は
近代化を
喜んでいた。
1000年前の
人々が
想像もしなかった
出来事だろう。
ニュルンブルクへ。
ニュルンブルクの
ユースは快適だった。
中世のお城を改築したホテルだ。
街を見下ろす高台に
石造りの壁と
広い廊下と
沢山の装飾品。
それと
隣接して
エレベータ。
お菓子とジュースの
販売機。
それに対して
僕は特に何も
思わなかったけれど
同室になった
ドイツ人は
近代化を
喜んでいた。
1000年前の
人々が
想像もしなかった
出来事だろう。
2008年06月27日
サンティ・デブリアーノ
ドイツのフランクフルト駅に
着いたときには
深夜の4時をまわっていた。
思わぬ出費のせいで
手元には
本当に頼りない額の
コインだけが残った。
トラベラーズチェックを
両替するには
翌朝を待たなければならない。
宿の予約は
キャンセルをして
寝心地が良いとは言えない
駅のベンチで
僕は
浅い眠りに落ちた。
着いたときには
深夜の4時をまわっていた。
思わぬ出費のせいで
手元には
本当に頼りない額の
コインだけが残った。
トラベラーズチェックを
両替するには
翌朝を待たなければならない。
宿の予約は
キャンセルをして
寝心地が良いとは言えない
駅のベンチで
僕は
浅い眠りに落ちた。
2008年06月25日
コールマン・ホーキンス
ヨーロッパを
網羅する鉄道は
国境の駅で
少々面白い光景が
見られる。
列車の乗組員全員が
総入れ替えになるのだ。
制服や髪や瞳の色が
変わるのは
まあよしとして
言語までが
変わってしまうことは
僕にとっては
少々奇妙な感じだった。
人騒がせな僕は
結局
オランダ人の車掌さんの
ポケットマネーを借り
ドイツ人の車掌さんに
相応のドイツマルクを
支払った。
二人の話は
ドイツ語で
よくわからなかったが
どうやら
次の当番の時に
お互いにやりとり
しようということに
なったらしかった。
『このことで
国境を越えて
ビールを呑む
仲間が出来たよ』
オランダ人の車掌さんは
流暢な英語でそう言って
僕に片目をつぶって見せた。
すてきな考え方だと
僕は思った。
網羅する鉄道は
国境の駅で
少々面白い光景が
見られる。
列車の乗組員全員が
総入れ替えになるのだ。
制服や髪や瞳の色が
変わるのは
まあよしとして
言語までが
変わってしまうことは
僕にとっては
少々奇妙な感じだった。
人騒がせな僕は
結局
オランダ人の車掌さんの
ポケットマネーを借り
ドイツ人の車掌さんに
相応のドイツマルクを
支払った。
二人の話は
ドイツ語で
よくわからなかったが
どうやら
次の当番の時に
お互いにやりとり
しようということに
なったらしかった。
『このことで
国境を越えて
ビールを呑む
仲間が出来たよ』
オランダ人の車掌さんは
流暢な英語でそう言って
僕に片目をつぶって見せた。
すてきな考え方だと
僕は思った。
2008年06月24日
ケン・ペプロウスキー
オランダとドイツとの
国境で
事件は起こった。
車掌さんが
切符を
点検に来た時には
僕は
クシェットという
簡易ベッドで
まどろんでいた。
国境を越える
ユーロ鉄道は
切符を検めるとき
簡単な
入国審査みたいな
ことをする。
パスポートと
切符を見せて
質問に答えればいい。
ところが
僕の差し出した
切符を見て
車掌さんが
少し驚いた顔をして
「切符はどこだ?」
と言った。
(と思う。訛りの強いドイツ語だった。)
よくよく
話をつなげてみると
僕が駅で買ったのは
予約券であり
本来ならば
それを
別の窓口に持っていき
正規の切符を
手に入れなくては
ならなかったらしい。
超過料金を払えば
それで済む話だったが
1999年は
EU各国の通貨が
それぞれの個性を主張していた
事実上
最後の年だった。
僕は
オランダギルダーを
数枚のコイン以外
すべて
ドイツマルクに
両替してしまった後だった。
人の良さそうな
赤ら顔の車掌さんは
ものすごく
困った顔をして
上の人と
無線で連絡を
取っていた。
僕はとても
すまないと思った。
国境で
事件は起こった。
車掌さんが
切符を
点検に来た時には
僕は
クシェットという
簡易ベッドで
まどろんでいた。
国境を越える
ユーロ鉄道は
切符を検めるとき
簡単な
入国審査みたいな
ことをする。
パスポートと
切符を見せて
質問に答えればいい。
ところが
僕の差し出した
切符を見て
車掌さんが
少し驚いた顔をして
「切符はどこだ?」
と言った。
(と思う。訛りの強いドイツ語だった。)
よくよく
話をつなげてみると
僕が駅で買ったのは
予約券であり
本来ならば
それを
別の窓口に持っていき
正規の切符を
手に入れなくては
ならなかったらしい。
超過料金を払えば
それで済む話だったが
1999年は
EU各国の通貨が
それぞれの個性を主張していた
事実上
最後の年だった。
僕は
オランダギルダーを
数枚のコイン以外
すべて
ドイツマルクに
両替してしまった後だった。
人の良さそうな
赤ら顔の車掌さんは
ものすごく
困った顔をして
上の人と
無線で連絡を
取っていた。
僕はとても
すまないと思った。
2008年06月23日
クロード・ウィリアムソン
『夏は夜』
そういったのは
1000年以上前の
女の人だ。
僕の住む町から
少し車を走らせると
水の里がある。
そこでは
蛍がたくさん
見れる。
暗がりで
目を凝らしていると
少しづつ
増えていく。
翌朝には
消えていく儚い光だ。
夜
海に入ると
夜光虫が
僕の身体を
うつくしく縁取る。
あの
冷たく青い光。
光ったかと思ったら
すぐに消える。
幼いころ
母親が
夜毎の
伽に聞かせてくれた
海蛍。
どうして
闇のなかの
かすかな光が
これほど
いとおしく
まぶたに残って
消えないのだろう?
僕は思わず
暗がりに手を伸ばす。
そして
むなしく宙をつかむ。
せめて
ぬくもりを。
そういったのは
1000年以上前の
女の人だ。
僕の住む町から
少し車を走らせると
水の里がある。
そこでは
蛍がたくさん
見れる。
暗がりで
目を凝らしていると
少しづつ
増えていく。
翌朝には
消えていく儚い光だ。
夜
海に入ると
夜光虫が
僕の身体を
うつくしく縁取る。
あの
冷たく青い光。
光ったかと思ったら
すぐに消える。
幼いころ
母親が
夜毎の
伽に聞かせてくれた
海蛍。
どうして
闇のなかの
かすかな光が
これほど
いとおしく
まぶたに残って
消えないのだろう?
僕は思わず
暗がりに手を伸ばす。
そして
むなしく宙をつかむ。
せめて
ぬくもりを。
2008年06月22日
キロ・パブディスタ
ヨーロッパの鉄道は
改札がない。
切符は列車に乗ってから
車掌さんが
点検しにくる。
日本のそれより
天井がばかに高い
プラットホームには
旅立つ人も
見送る人も
帰郷する人も
迎える人も
それぞれ
とてもイーブンに
そのときを待っていた。
あの空間は
ちょっとすごい。
旅立ちの期待や
別れの悲しみ
再会の喜びなんかが
すべて
同時に存在している。
あの中には
もしかしたら
二度と会えないような
別れを惜しんでいた人たちも
いたのかもしれない。
スーツ姿の
青年が
たくさんの人に囲まれながら
きれいなまなざしで
涙をこらえていた。
その映像を
何故だか
僕は
今でも
覚えている。
改札がない。
切符は列車に乗ってから
車掌さんが
点検しにくる。
日本のそれより
天井がばかに高い
プラットホームには
旅立つ人も
見送る人も
帰郷する人も
迎える人も
それぞれ
とてもイーブンに
そのときを待っていた。
あの空間は
ちょっとすごい。
旅立ちの期待や
別れの悲しみ
再会の喜びなんかが
すべて
同時に存在している。
あの中には
もしかしたら
二度と会えないような
別れを惜しんでいた人たちも
いたのかもしれない。
スーツ姿の
青年が
たくさんの人に囲まれながら
きれいなまなざしで
涙をこらえていた。
その映像を
何故だか
僕は
今でも
覚えている。
2008年06月18日
ガーシュウィン
少し卑近な
話で恐縮だが
今日
仕事の上司と
キャッチボールをした。
普段は本社にいる
気難しい上司だ。
ヤンキーの
親子ほどの
歳の差がある。
初めは
近い距離から
そうして
肩を慣らしながら
少しずつ
離れていく。
離れても
ボールでつながる。
キャッチボールの
魅力はそれだ。
言葉は
控えめに。
暴投をしても
エラーをしても
謝ってはいけない。
黙って
ボールを
追えばいいのだ。
よく晴れた
火曜日の午後
僕はきっと
この日を一生
忘れない。
話で恐縮だが
今日
仕事の上司と
キャッチボールをした。
普段は本社にいる
気難しい上司だ。
ヤンキーの
親子ほどの
歳の差がある。
初めは
近い距離から
そうして
肩を慣らしながら
少しずつ
離れていく。
離れても
ボールでつながる。
キャッチボールの
魅力はそれだ。
言葉は
控えめに。
暴投をしても
エラーをしても
謝ってはいけない。
黙って
ボールを
追えばいいのだ。
よく晴れた
火曜日の午後
僕はきっと
この日を一生
忘れない。
2008年06月16日
オシー・ジョンソン
僕は
旅に
カメラを持っていくのが
好きではない。
旅先で触れる
心に触れた風景を
カメラに収め
日常の
合間に
旅の思い出を
反芻する。
それはそれで
素敵なことなのは
もちろん
僕だって
知っている。
それでも。
僕は
やはり
紙と
鉛筆を
選択した。
心にかなった風景を
少しずつ
紙に
写す。
飽くことのない
自分自身との対話。
記憶の扉を
あける鍵。
鍵は
ひとつのほうがいい。
旅に
カメラを持っていくのが
好きではない。
旅先で触れる
心に触れた風景を
カメラに収め
日常の
合間に
旅の思い出を
反芻する。
それはそれで
素敵なことなのは
もちろん
僕だって
知っている。
それでも。
僕は
やはり
紙と
鉛筆を
選択した。
心にかなった風景を
少しずつ
紙に
写す。
飽くことのない
自分自身との対話。
記憶の扉を
あける鍵。
鍵は
ひとつのほうがいい。
2008年06月15日
エロール・ガーナー
オランダの花は
チューリップだけでは
なかった。
川沿いの道にショーウィンドウが
ずらりと立ち並ぶ。
飾られているのは
下着姿で
『春』を売る
生身の女性達。
僕みたいな
お子様が
歩いていると
皆
意味ありげな
微笑を浮かべ
足を組みかえる。
僕は
平静を
よそおい
彼女達を
横目で見る。
美しき花々の
悲しげなひとみ。
僕は
一日で
アムステルダムを
辞し
ドイツに向かう
夜行列車に乗った。
チューリップだけでは
なかった。
川沿いの道にショーウィンドウが
ずらりと立ち並ぶ。
飾られているのは
下着姿で
『春』を売る
生身の女性達。
僕みたいな
お子様が
歩いていると
皆
意味ありげな
微笑を浮かべ
足を組みかえる。
僕は
平静を
よそおい
彼女達を
横目で見る。
美しき花々の
悲しげなひとみ。
僕は
一日で
アムステルダムを
辞し
ドイツに向かう
夜行列車に乗った。
2008年06月12日
ヴィクター・ゴーインズ
海に行った。
流れが速くて
人のいない海だ。
僕はいつも
1人で
あまり人のいない
海に行く。
よく
心配されるし
危ない目にも
何度かあってる。
もしかしたら
近い将来
海に
呑み込まれてしまう時が
やってくるかもしれない。
それでも。
抗いがたい
波のうねり。
あの中で
どんなにあがこうと
僕は無力だ。
そのことが
かえって
僕を
安心させる。
到底
太刀打ちできない
巨大な力の塊に
抱かれると
僕は僕を
偽らなくなる。
流れが速くて
人のいない海だ。
僕はいつも
1人で
あまり人のいない
海に行く。
よく
心配されるし
危ない目にも
何度かあってる。
もしかしたら
近い将来
海に
呑み込まれてしまう時が
やってくるかもしれない。
それでも。
抗いがたい
波のうねり。
あの中で
どんなにあがこうと
僕は無力だ。
そのことが
かえって
僕を
安心させる。
到底
太刀打ちできない
巨大な力の塊に
抱かれると
僕は僕を
偽らなくなる。
2008年06月09日
イアン・ウォレス
ユースホステルを知っているだろうか?
20世紀の初めに
ドイツで生まれた
安宿だ。
たいていは
ドミトリー式
つまり
相部屋式で
大体
二十畳くらいの部屋に
二段ベッドが
4つとか6つとか
大雑把におかれている。
その一面を
一泊につき
千円とか二千円くらいで
借り受けるのだ。
洗面所や風呂は共同で
キッチンや食堂は
あるところとないところがある。
日本のユースには
各々のベッドに
カーテンが付いてたりしたけれど
海外で
付いているのは
見たことがない。
アムステルダムの
ユースは男女相部屋で
金髪のお姉さんが
誰にも憚ることなく
着替えをしていた。
僕は正直
ひどくびっくりしたのだが
何故か
冷静をよそおった。
・・・・19歳だったのだ。
20世紀の初めに
ドイツで生まれた
安宿だ。
たいていは
ドミトリー式
つまり
相部屋式で
大体
二十畳くらいの部屋に
二段ベッドが
4つとか6つとか
大雑把におかれている。
その一面を
一泊につき
千円とか二千円くらいで
借り受けるのだ。
洗面所や風呂は共同で
キッチンや食堂は
あるところとないところがある。
日本のユースには
各々のベッドに
カーテンが付いてたりしたけれど
海外で
付いているのは
見たことがない。
アムステルダムの
ユースは男女相部屋で
金髪のお姉さんが
誰にも憚ることなく
着替えをしていた。
僕は正直
ひどくびっくりしたのだが
何故か
冷静をよそおった。
・・・・19歳だったのだ。
2008年06月09日
アレン・ファーナム
僕は
オランダに対しては
ごくごく素朴に
のどかなイメージを持っていた。
チューチップと
風車の国。
しかし
オランダは
世界で初めて
安楽死を認めた
国であった。
『ガンジャ』が
合法で認められている国だということは
ユースホステルで
同じ部屋に泊まった
ラリったイスラエル人に
教わった。
オランダに対しては
ごくごく素朴に
のどかなイメージを持っていた。
チューチップと
風車の国。
しかし
オランダは
世界で初めて
安楽死を認めた
国であった。
『ガンジャ』が
合法で認められている国だということは
ユースホステルで
同じ部屋に泊まった
ラリったイスラエル人に
教わった。
2008年06月07日
2008年06月04日
ローランド・カーク
僕が行き先を
ヨーロッパに決めたのは
支配者たちの
歴史を
見てみたかったからだった。
9年前のあの時
うまく『ことば』に
できなかったことが
時を隔てた
『今』
恐ろしい程
あっさりと
目の前に
投げ出される。
もしかしたら
僕は
『今』
それを
拾うことに
夢中になって
立ち止まって
しまっているのかも
しれない。
ヨーロッパに決めたのは
支配者たちの
歴史を
見てみたかったからだった。
9年前のあの時
うまく『ことば』に
できなかったことが
時を隔てた
『今』
恐ろしい程
あっさりと
目の前に
投げ出される。
もしかしたら
僕は
『今』
それを
拾うことに
夢中になって
立ち止まって
しまっているのかも
しれない。


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